ファンライン(FUNLINE)の2000年式日産スカイラインGTR R34 のミニカーです。
1998年式 Nissan Skyline GTR R34
国産車 旧車
サイズ:1/64 全長80mm
タイヤ:ラバー
本体:ダイキャスト
シャーシ:プラスティック究極のR出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
10代目(R34型、1998年-2003年)
通称:アールサンヨン
キャッチコピー:The Driving Body ボディは力だ。

標準での最スポーツモデルでRB25DET型を搭載する「25GT-t」はついに280psを発揮するまでに至ったが、クラス下のランサーエボリューションやインプレッサが既に同程度の出力を達成していただけに、パワー重視のユーザーからはあまり興味を持たれなかった。
25GT-tに搭載されていた4ポッドキャリパーとローターが、他の日産車に簡単な方法で移植可能で、社外品のブレーキまでは必要ないが、ブレーキは強化したいというチューニングカー乗りには定番チューンとされている。
1999年1月 R34型GT-R発売。キャッチコピーは「人に翼を」。前回同様に東京オートサロンデビューとなったが、有名なショップには事前に納車され、若干チューニングが施された車が展示され、NISMOからはコンプリートカー状態になったものが展示されていた。
Optionにはノーマル状態の車が紙面に登場する前に、BLITZの手によってカラーリング、ホイール交換、車高が下げられた状態で登場してしまっている。

このR34型は第2世代最後のRだけに歴代GT-Rの中でも究極のGT-Rと言える進化を遂げた。Vスペックには量産車初のカーボンディフューザー等のアドバンスドエアロシステムを採用、鍛造18インチホイールを装備、トランスミッションは独ゲトラグ社と共同開発した6速MT、ブレーキはイタリアの名門ブレンボ製を標準装備。エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型を搭載。自主規制枠一杯の最大出力280psはそのまま(ちなみにエンジンの実測馬力は約330ps。タービンを容量一杯まで使い切る事により550psを発揮している)ではあるが、R390GT1で培われた技術を活用し、最大トルク40.0kg/mを達成する等、究極のドライビングプレジャーを名乗るに相応しい車に進化した。その結果、当時COOとして日産を立て直した現日産CEOであるカルロス・ゴーンの口から「日産で最も好きな車」と言わせた。車内においてはコンソール中央にマルチファクションディスプレイと呼ばれる車両の状態を確認するモニターが搭載され、水温、ブースト圧などを表示することが出来る。Vスペックとノーマルでは多少表示項目が異なる。
2000年GT-Rに第33回東京モーターショーに参考出品された特別塗装色ミッドナイトパープルIIIを3ヶ月期間限定で設定。
2000年10月 GT-Rがマイナーチェンジ。内外装の一部変更、およびVスペックに替わりVスペックIIをラインナップ。量産車としては初のNACAダクト付きカーボンファイバー製ボンネットフードを採用。その他色の変更、アルミペダル化が行われた。なお、この代のGT-Rはイギリスでも100台限定ながら輸出販売されている(下記「GT-Rとは」参照)。
後期型へのマイナーチェンジ直後、工場閉鎖のため2000年9月29日(GT-Rは8月5日)に村山工場での生産を終了し、「工場5」のコーションプレートを持つ車両は絶版となる。以降は栃木工場が生産拠点となる。GT-Rの村山最終生産車両は同車開発主管の渡邊衝三が保有する。
2001年5月 「GT-R M・spec」追加。リップルコントロールショックアブソーバーを採用したほか、専用の本革シートを装備し、専用色を設定した。
2001年6月 RB型エンジン搭載最後のモデルで3年という短いサイクルでV35型へバトンタッチ。その後もGT-Rは継続販売された。
2002年1月 8月のGT-R生産終了を発表。同時に最終特別限定車「M・spec Nür」、および「V・spec II Nür」を設定。前者が630万円、後者が610万円である。この「Nür」にはヘッドを金色塗装されたN1仕様エンジン、N1タービン、シャフト、ピストンなどのN1用パーツを使用し、300km/hスケールのスピードメーターを装備。通常ならばステッカー式の後部グレードステッカーが立体エンブレムになり、製造番号シールもゴールドになっている。さらには専用色である「ミレニアムジェイド」を設定している(「V・spec II Nür」はシリカブレス、「M・spec Nür」はベイサイドブルーがラインナップには無い)。「Nür」は元々1グレード300台限定で発売される予定だったが、1月の発表後に新聞や車雑誌などで大きく宣伝されていた為か、問い合わせが殺到し急遽500台に増産が決定した。しかしそれでも予約希望者数に対応できないため、最終的に両グレードで計1000台の生産が決定した。パンフレットには300、500と印刷された上に1000のシールが貼られている(ちなみに受注に際して海外からの注文もあった程)。1月24日発表日に即日完売(発売日は2月26日)してしまうという、第二世代GT-Rの劇的なラストを飾った。(ランサーエボリューションも限定販売→増産と言うパターンはよく採られているが、即日で完売した例は最近ではNür以外には無い)このNürもGT-Rの名にふさわしく東京オートサロンでの登場だったのだが、使われたのが室内試乗用車両であり、しかもノーマル状態だったため、ほとんどの人に気づかれていなかった。
2002年8月 排気ガス規制のためGT-R生産終了。
2005年 NISMOより、R34型GT-Rの最終形態とも言える、2800cc化されたRB26DETTを搭載するZ-チューンが20台限定1774万5000円で発売された。(既に所持しているR34GT-Rを工場に持ち込みチューンする「パーツコンバージョン」は1312万5000円である。ただしカラーはベース車両のままでハードコートも無くなる。また、ミッドナイトパープル色は受付できない)このZ-チューンは、最高出力500psを誇るモンスターマシンでありながら、ストリートを意識した仕様になっている。ホイールなどはZ-チューン仕様のLMGT4を使用している(このLMGT4は後に限定で市販されている)。
車重がノーマルより重いのにも関わらず、街乗りもまったく苦にしない上に、0-400加速にて10秒フラットを記録できるなど、究極のロードゴーイングカーの名にふさわしい仕様になっている。
2007年3月、ベース車の確保が困難(程度の良い中古車が手に入らなくなった)になった事を受け、生産が終了した。総生産台数はプロト1台、保存車1台、国内13台、海外4台の計19台であった。
このR34GT-Rはアメリカ映画ワイルドスピードX2にも序盤の主力車種として登場しており、アメリカ本国は元よりイギリス、オーストラリア、フランス、香港などでも知られている。また、日本でGT-Rを盗み、アメリカなどのブラックマーケットにて1000万円単位で取引されることもあるという負の事実もある。また特にこのR34GT-Rは約11,000台しか生産されていないことからプレミア価格が付いて居ることがあり、ニュルで600〜800万、VスペックIIでも500万以上は珍しくなく、余程の事が無い限り初期標準車であっても300万円を下回ることはまず有り得ないという異常な現象が発生している。2004年度の盗難車ランキングにおいてスカイラインは9位にランクインしており、その大半はGT-Rである。
GT-R 11,344台
ジェイダトイズ(JADATOYS)の1998年式日産スカイラインGTR R34 のミニカーです。
サイズ:1/64 全長85mm
タイヤ:ラバー
本体:ダイキャスト
シャーシ:ダイキャスト
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